憂鬱な善良なる市民 re:魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」連載第109回 (2015.01.18)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41690
から引用。。
その芥川が震災直後、〈僕は善良なる市⺠であ る。しかし僕の所⾒によれば、菊池寛はこの資格 に乏しい〉という出だしの⽂章を書いた。まずは そのつづきをご紹介しよう。
〈戒厳令の布かれた後、僕は巻煙草を啣えたま ま、菊池と雑談を交換してゐた。尤も雑談とは云 うものの、地震以外の話の出た訳ではない。その 内に僕は⼤⽕の原因は○○○○○○○○さうだと云つ た。すると菊池は眉を挙げながら、「嘘だよ、 君」と⼀喝した。僕は勿論さう云はれて⾒れば、 「ぢや嘘だらう」と云ふ外はなかつた。
しかし次⼿にもう⼀度、何でも○○○○はボルシエヴ イツキ(注:社会主義者)の⼿先ださうだと云つ た。菊池は今度は眉を挙げると、「嘘さ、君、そ んなことは」と叱りつけた。僕は⼜「へええ、そ れも嘘か」と忽ち⾃説(?)を撤回した。
再び僕の所⾒によれば、善良なる市⺠と云ふもの はボルシエヴイツキと○○○○の陰謀の存在を信ずる ものである。もし万⼀信じられぬ場合は、少くと も信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬもの である。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなけ れば信じる真似もしない。(後略)〉
なぜ文藝春秋ほどの雑誌、出版社が、善良なる市民になっているのかということは考えないといけません。
皆、孤高の思索家よりは善良なる市民を目指すこの世なのですが。
いわゆる総合誌、論壇誌が軒並み消えた中、存続しているのが、文藝春秋、中央公論、Voiceということも考える必要があるりそうです。